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#035 佐賀県「七田」
七田

七田を醸す天山酒造は1861年(文久元年)製粉製麺業のスタートでした。当時、鎖国中の日本が海外へ目を開き、勝海舟が臨海丸でアメリカに初航海を行った頃です。水車業で地元の造り酒屋から酒米の精米を引き受けておりました。

1875年(明治8年)に廃業される蔵元から購入依頼を強く受け、やむなく酒蔵を購入し初代蔵元が誕生しました。「七田家は造り酒屋を始めるらしい・・・」との風評が広まり、酒造業を始めることになったというのは嘘のような本当のお話です。水車業からスタートした製麺事業は当時最高の製造設備で大正、昭和と操業していましたが昭和30年代後半で終止符を打ちました。二代目蔵元は建築に造詣が深く、本格的な製材所を持ち、大工や左官ブリキ屋達を抱えていました。そして酒蔵の建築のみならず寺や小学校に立派な校舎を建てて寄進するなど地域貢献にも取り組んでいたそうです。
この建築へのこだわりは明治蔵、大正蔵、昭和蔵と国の有形登録文化財に登録され、佐賀県遺産にも認定されております。三代目蔵元は農業に造詣が深く酒米の研究のみならず農業者のリーダー育成を志し私財を投じて専門の農業大学を創立しました。

四代目蔵元は当時まだ知られていなかった純米清酒を先駆けて醸造し純米酒の普及活動にも積極的に取り組みました。

この歴代蔵元の「こだわり」の精神は「品質第一の酒造り」の姿勢で原料となる酒米栽培からこだわり「酒造りは米づくりから」と五代目蔵元に脈々と引き継がれ、現在の蔵元七田謙介氏に天山のDNAは受け継がれているのです。

七田謙介氏は樽一社長とアタクシとも同世代です。樽一社長と七田氏の出会いは刈穂を醸す秋田清酒社長の伊藤洋平氏と同様、20年前に建築家で酒蔵の建築を数々手掛けて吟醸酒をこの世に広めた第一人者、篠田次郎先生が主宰する雀々塾(ちゅんちゅんじゅく)で次世代の若手蔵元の育成会の場で知り合いました。メインの銘柄「天山」とは異なり米と米麹のみ使用して誕生した銘柄の七田。時には活性濁り酒も醸し、蓋をあければシュワシュワっと吹きこぼれることもしばしば・・・

そんなやんちゃな佐賀の暴れん坊は茶目っ気たっぷりに我々飲み手を楽しませてくれています。

先日もこの原稿を書き始めておりましたら、七田氏よりメッセージをいただき樽一に来店してくださいました。何という偶然でしょう。

3月21日に日本の酒情報館で第22回11PM利き酒会。11の蔵元が酒販店、飲食店、流通関係者のみに開催した会に行って参りました。そこで佐賀県をいや九州を代表して参加した七田謙介氏に再び出会い、七田のラインナップを全て利かせていただきました。やんちゃなお酒は少々大人びて、お互い41歳のパワーで低迷してる日本酒の底上げを誓ったのでした。

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